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3月, 2023の投稿を表示しています

敵に勝つとどうなる

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  サムライジャパンはWBCで五連勝してとうとう決勝まで勝ち進みました。  前回も前々回もここまで来なかったが、今回はここまできたのです。日本中の子供から年寄りまで、歓喜に沸いています。生きる勇気が与えられたかのように喜んでいます。自分が人生に勝利したかのような気分になっているのです。  願わくば決勝にも勝って世界一になって欲しいものです。そうすれば勝利者の国と言う意識が更に高くなるでしょう。自分は弱いと思って生きていた人も少しはもっと頑張れると思うようになるでしょう。受験生も必ず志望校に入学して見せると闘志が出てくるでしょう。  私たちの主・キリストは悪魔の誘惑に勝ち、ご自分の願いと意思に勝ち、悪魔の頭を打ち砕き、死に打ち勝ち、今も勝利者として生きておられるのです。  そして私たちが信仰の勝利者となり続ける人生を願い期待しておられるのですから、神の言葉と信仰と御名の権威と力によって勝ち続けて参りましょう。

異言の祈りの力

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   米国はオクラホマ州のタルサにあるオーラル・ロバート大学病院の脳専門医は、研究と実験により、人が異言で祈るとその人の脳は免疫システムに向けて二種類の化学物質を分泌し、35%から40%免疫力が高まることを発見しました。興味深いことにこれらの分泌物は何の活動もしない脳の部分が異言の祈りによってのみ活動が引き起こされる結果もたらされると言うのです。  2003年SARS(重症急性呼吸器症候群)がシンガポールで発生した時、免疫システムが弱い人が多く亡くなりました。あるキリスト教会の74歳の信者は心臓が弱く免疫力を高める必要がありました。彼の動脈2本は70%閉塞してて、5本の血管は80%閉塞していたからです。神の僕が心臓の癒しを望む人は立つよう呼びかけると彼は立ち上がり、自分の手を心臓の上に当てて異言で祈りました。その時彼は神に触れられ別人になったと感じたのです。彼が健康診断を受けると彼の血管から全ての閉塞状態が無くなっているのを担当医が発見したのです。  異言の祈りはただその人の徳を高めるだけでなく、魂を整え力を与え立てあげるだけでなく、肉体の健康をも改善するのです。それは霊の中に居られる癒し主なるキリストと祈る人の魂が一体になることを通して霊から魂そして肉体へと神の力が流れていくからです。  癒し主・キリストは昨日も今日もいつまでも変わらず働かれていることを覚えましょう。  どんな困難な病でも体のシステムでもそれを創造されたお方は治すこともできることを感謝しましょう。

鶯の声を聞きました

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  今朝の日の出は5時45でした。その15分くらい前に栃木市総合運動公園で鶯の鳴く声が聞こえました。なんと気持ちよくすがすがしい声なのでしようか。今朝は久しぶりに寒く男体山も鶏頂山も雪がありました。  運動公園には様々な鳥がいて、それぞれの声で泣いています。どの鳥も創造主から与えられた声で精一杯泣いています。私たちもそれぞれ与えられた性格、能力、賜物、召命は異なります。しかし、どんなに、弱くても、勇気がなくても、病気がちでも、年老いててもその存在の全てをもって主を崇めましょう。主だけがすべての栄光を受けるに相応しいお方だからです。  季節と雨と天気をくださり、祈りに答え、弱い者には力を与え、健康を与え、私たちの一生に良きもので満たしてくださる、愛と恵みに富まれる主に感謝をいつも献げましょう。  御子と共にすべての良いものを与えてくださる良き天の父を賛美しましょう。  私たちが変わっても変わらない愛を持って愛し続けてくださる主にお仕えしていきましょう。

なつめっ子後援会のご案内

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  大洪水で国土の1/3が湖になった国、パキスタンの孤児や青空学級を応援してください。  私たちはその子らを支援する働きをしております。パキスタンは日本の2倍の広さがあるイスラム教国で二億二千万の人口があります。インドやネパールと同じ食文化の国です。デーツと言う名で親しまれているなつめやしが取れる国です。それで活動の名前を「なつめっ子後援会」と名付けました。  私たちはそんなパキスタンの校舎もない学校で学んでいる子どもや孤児たちを支援しています。パキスタンはカレーをよく食べる民族なので、お米などの食料や靴、医療、教科書、寝具等を支援してきました。およそ2万円で1ヶ月孤児たちや青空学級の子どもたちに給食を食べさせてあげられます。また、建物がないのですが、地震や大水にも対応できるような大きなテントをこれから設営して教室などに使うべく予算の確保を願っています。  パキスタンはイスラム教国ですが子どもたちは熱心なクリスチャンです。毎日私たち日本の支援者のためにもお祈りしています。2023年三月の中旬は断食をして自分たちの必要のために神さまに祈りました。将来キリスト教の牧師や伝道者になりたいと志してる子どもたちも多くいます。パキスタンはイスラム教国ですがタリバンの影響も強く政情も不安気味な国です。15歳の識字率も58%なので私たちが支援をする青空学級もパキスタンの識字率改善に役に立っているのです。パキスタンは今若者が海外に流出しています。インフレ率が高く、経済的に苦境に立つ中パキスタンの未来を担う子どもたちに希望を持たせる事が必要なのです。  私は、パキスタンの大洪水の後で子どもたちに青空学級で教え、孤児たち13人を自分の家でお世話しているマシ牧師にFacebookで知り合いました。多くの外国人が支援を求めてくる中でマシ牧師は一切そのようなことは求めてきませんでした。私はかつてフィリピン・ミンダナオで孤児院を運営していましたが、日本からチームを連れて行くと必ず後で連絡が来て支援して欲しいと要求してきました。あまりにも貧しいので気持ちはわかりますが、引いてしまうものです。マシ牧師は自分の苦しい状態は何も言わずこの子どもたちのためにお祈りしてくださいと要請してきました。それでマシ牧師の働きを支援することに決めたのです。私はもう70歳を過ぎましたので全力で支えていくことは困難です。

諦めない限り人生は変えられる

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   これは志望した一橋大学でどうしても学びたくて、七浪して入学を果たした若者が語る言葉です。  父親から「経済的に岩手大学以外行かせられない」と言われ、塾の講師からは「お前は一橋に行くには学力も努力も足りない」と通告されるもの、受かった国立大学で更に学びました。2年生のときには冬学期に1コマ90分の授業を週に19コマ受講し4年生になると卒業要件単位の120の倍以上である245単位をとっていたそうです。卒業後は中高一貫校の非常勤講師をしながら更に学び続け遂に一橋大学に入学し、卒業後は、中学社会・高校公民、中学・高校ドイツ語の教員免許に加え、一橋大学在学中にそれぞれ中学・高校の地歴、英語、数学の教員免許を取得、2校の掛け持ちをしながらさまざまな科目の勉強を教え、予備校の数学の模試の採点も頼まれるようで、大車輪の活躍をしています。  キリスト信者は、イエスさまにお願いするのだから自分は何もしなくていいと考える人も少なくないです。しかし、神さまから与えられた知性は磨き研鑽を積むことでより高めることができるのです。そのために自ら学び深めることは一人一人の若者に与えられたチャンスなのです。神さまから与えるチャンスを活かし用いましょう。希望を持ち忍耐を養うこともできます。若い時に苦労する事は有益なのです。私は10歳から中学卒業するまで朝夕の新聞配達・集金をし、高校大学は働きながら夜学びました。神学校・神学大学も働いたり主の仕事をしながら学びました。  怠けるためではなく、やり続け成し遂げるために神さまの助けを求めていきましょう。  神さまの栄光のためにも人一倍学び良い学校に入り神さまのために有用な人材になっていきましょう。

友達何人いますか

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   私はよく引越しをしたので友達が殆どいません。息子は一人っ子であったせいか友達を非常に大切にして多くいます。孫娘も一人っ子なので大人まで友達にしています。  滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりも親密な者もいる、友を捨てるな、人が倒れる時にはその友が助け起こすが友のいない人は可哀想だ、と聖書は教えています。  何より素晴らしいのは私たちが神の定めと命令を行うなら神は友としてくださるという事です。そして主・イエスさまは人がその友のために自分の命を捨てるこれよりも大きな愛はないと言われ、その通り私たちのためにご自身の命を捨ててくださったのです。  贈り物をしなくても離れない友を増やしましょう。  信仰の友はより素晴らしい存在であることを覚えましょう。

祈りの集会を持ちましょう

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   以前Facebookに投稿した、異言の祈りに対して昨日今日と何通ものコメントがありました。  また伝道協会の協力会員の方からも祈りの要請がありました。折しもパキスタンのマシ牧師から孤児たちの食量支援依頼と共に、今日は孤児たちや青空学級の子供達と断食祈祷をするとの連絡がありました。私は来年から始まる神学校では毎週金曜日は断食にして祈る日にしようと考えています。祈りの集会も行っていく予定です。  パキスタンの子らがパキスタンを変え、世界を変える祈り手になるよう祈り続けます。さらに子供たちが自立したらあどない・いるえ神学校に迎えて訓練してあげたいものです。あどない・いるえ伝道協会が宗教法人を取れば宣教師として海外から受け入れる事が容易にできるようになります。主に召された人々が集まり心を合わせて祈るなら主は多くの事を語られ、道を開いて、事を行わせてくださる事でしょう。  もう主が来られる時が近く、終末のリバイバルが始まりつつあるからです。  心を合わせて祈る時が至る所で持たれるなら神の働きも至る所でなされていく事でしょう。

今頃の事です。

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 野尻湖のバンガローに祈りに行った時、車が野尻湖の側で雪で動かなくなりました。  主に助けを求め、車から降りると、湖の水際を外国人男性が走っていたので「Help Me」と頼んだのですが発音が悪かったのか無視されて行ってしまいました。突然来た道に大きな除雪車があったのを思い出して、そこまで行き事情話して、助けを求めると「この車は国道のための車だからできない」と言われました。私は記憶が駆け巡って別の所にも除雪車があったのを思い出しそこに向かいました。同様に事情を話すと「悪いね。この車は県道の為の車だからできない」と寂しい答えが返って来ました。「ではどうすれば良いですか」と聞くと「近くにレッカー社があるからお金かかるけど」直ぐ引っ張ってくれるよ」と電話番号を教えられました。  電話すると間もなくチェーンを巻いたジープが来ました。私の車のフツクにロープを付け引っ張りましたが弾みを付けたのでバンパーが剥がれて捲れ上がりました。それではと車体下の丈夫な部分にロープを取り付け引くと車はやっと雪中から動き出しUターンできる場所に来ました。料金を払う時「バンパー修理代値引きしてください」と交渉したのですが「事故だと思って」と断られました。すっかり意気消沈し祈る気もなくなりバンガローに行って寝ました。 翌朝車を見に行くと前日の虚しい出来事が甦ってきました。その私の前を軽自動車が前日の私のように走って行きました。私は「きっと助けてくれと呼びに来るぞ」と思ってましたが、何と何処かで方向転換して走り去って行きました。「何で」と当たりを見回すと、雪の高さがぐっと下がっているのです。「あっ、そうだ、昨夜雨が降ったんだ」と気が付きました。そして神さまが私の頭を叩かれた気がしました。そして「わたしは昨日お前が祈った祈りを聞いて、雨を降らせたが、お前はわたしに頼らず自分で走り回ってどうだったのか」と語られました。  私は時に主から大切なことを学ぶために授業料を払わされます。主に祈ったら必ず聞いてくださって、助けられる方なのですから、思う煩わないで自助努力を止めて主の元で休み、主に働いて頂くのが安息の真理です。思ったらすぐ行動していた私は特にこの真理を学ばなければならなかったのです。  主の元で休み主に働いて頂くことの素晴らしさを体験しましょう。  安息していると言うことは神さまの恵みによって、神

説教には自分の体験を例話としましょう

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    ある説教集を読みました。そこには多くの説教者の語ったものが印字されていましたが、そこで使われている例話は殆どが昔の信仰者や海外の有名な説教者の言葉でした。  文章も話も起承転結を用いると分かりやすく説得しやすくなります。説教も然りです。その起の部分などに例話を入れて説教を始めたりするのですが、その例話を何にするか、説教者は相応しい話を探しまくるのです。しかし殆どの説教者が見つけて用いるのは過去の他人の話なのです。いくら感動する話でも他人の話は借り物なのです。  失敗した話でも自分のものなら、誰も中傷などせずに、笑い話になるでしょうが、自分が体験したことですから説得力が最高にあるのです。より素晴らしい体験をするには日毎の信仰生活や神さまを体験していかねばならず、その偽らない実際の生き様を説教を通して語っていくことが大切なのです。飾った言葉や借り物の話で散りばめでもいのちが入ってない説教では人の心は動かせないのです。どんなに聖書講解や歴史的背景を学ぶより、神の言葉を信じて毎日を極め尽くして生きてそれを語るのは何よりも人々の魂を神に向けさせていくのです。  み言葉に生きて語る説教者になりましょう。  借り物ではなく、自分の主なる神さまとの体験を語れる者になりましょう。

没頭

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   将棋の藤井聡太五冠に羽生善治九段が挑戦した王将戦7番勝負の第6局が佐賀県で行われ藤井王将が勝ち、初防衛、五冠を堅持しました。タイトルを守った藤井王将は「分からない局面が多くて、没頭して指すことができた」と語りました。  私たちは多くの厳しい局面において祈りに没頭しているでしょうか。片手間では信仰の勝利者の地位を獲得することも維持することもできないのです。敵は総力を挙げて私たちに戦いを挑んできているのです。  神の言葉の剣をしっかりと握り、いのちと御霊の法則の上に立ち、信仰の大楯を持ち、勝利者キリストの御名により、神に従って悪魔に立ち向かわなくてはならないのです。そうすれば、悪魔は私たちから逃げ去るのです。私たちが万軍の神と共に前進するなら敵、悪魔は一つの道から私たちを攻めて来ても七つの道から逃げ去るのです。  私たちの武器は肉のものではなく、要塞をも撃ち破る力のあるものなのです。  私たちの戦いの将は既に敵の頭を撃ち砕かれ勝利から勝利へと勝ち進まれるお方であることをよく覚えておきましょう。

妻が初めて野球中継を見ました

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 WBCの中国戦、韓国戦、チェコ戦と続けて今まで見たことのない野球中継を見ているのです。大谷選手やヌートバー選手などがプレイを通して希望を与えてくれたり、楽しくさせてくれたり、元気にしてくれるから見てるようです。  人々は、コロナ疲れや、物価高や、生活苦の中で、希望や楽しさや元気が欲しくて、求めているのです。私たち神の民が神さまから受けたキリストのいのちに輝いているなら、私たちは自然に人々に元気を、希望を、喜びを流していき、結果私たちのところに集まって来るのです。  もし、そうなっていないのなら、私たちはキリストの輝きを曇らせたり、つまらない言葉遣いや愛のない行動によってキリストの凄い魅力を人々から見えなくしているのです。私たちは悔い改め、言葉使いを改め振る舞いを変えなければなりません。もっともっと希望の神と交わり、絶大な神さまの力を見せて頂き、やがて受け取る天の御国の相続人とされている喜びに深く浸らなければなりません。  私たちは世の者ではないのですが、主にこの世に遣わされている神の大使なのですから、神の国の素晴らしさをこの世人に伝え、知らせる存在なのです。だからいつも喜んでいましょう。絶えず祈って天の父から励ましと希望に溢れさせていただきましょう。見た事も聞いた事も思い浮かんだこともない天国の前味を味わわせて貰いましょう。  そう生きていたら人々は私たちの所に集まって来て、その神さまを教えてくださいと言う事でしよう。  神の国の拡大はかくして実現していくことを見させてもらおうではありませんか。

未曾有の敵が押し寄せてきた時どうしますか

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  逃げますか、可能な限り援軍を要請しますか?降伏しますか?日本人らしく武士道にのっとり自決しますか?  ユダ王国のヨシヤパテ王の時代に海の彼方から三つの民族の大群が攻め寄せてきて、かなり近くまで来たと言う知らせが入りました。するとヨシヤパテ王は民に神を求めて断食を布告したのです。民は赤子から妻や年寄りま神の宮の前に集まり主の助けをひたすら求めて祈ったのです。  ヨシヤパテ王は皆を代表してこう祈りました。主は全ての国を治められている神です。主に逆らえる者はありません。この地は神が与えられた地です。かつて主はこれらの民を滅ぼされなかった民なのに今この地から私たちを追い出そうとしています。主の名が置かれるこの宮で主に助けを求めるなら主は聞いて助けてくださるお方です。今私たちはこの大軍に当たる力なく、どうすることもできず主に信頼してより頼んでいます。  すると預言者を通して神が語られました。「あなた方はこの大軍を恐れ慄くな。これはあなた方の戦いでなく主の戦いだ。あなた方は主の勝利を見る。主があなた方と共におられる」と。ヨシヤパテ王も民も平伏して主を礼拝し、レビ人は大声で主を賛美したのです。翌日主の聖なる飾りを付けた者が先頭になり、「主に感謝せよ。その慈しみは永久に絶えることがない」と賛美を始めると、主が伏兵を通して敵を滅ぼし、同士討ちでその全てが全滅したのです。ユダの人々は死んだ兵から剥ぎ取り家畜、財宝、衣服、宝石などをぶんどるのに3日もかかったのです。こんな戦いは人の有史に見たことはありません。神が戦われるとこんなことが起こるのです。  私たちはこの万軍の神に祈り助けを求めることができる事を覚えていましょう。  どんな敵が押し寄せてきても、神に敵対できる存在はなく、圧倒的な勝利をもたらされる主が共におられる事を知っておきましょう。

神の言葉は神ご自身です

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  暗唱聖句を大文字にしてファイルにしていますが印刷ミスしたものをコピー用紙の上に置いてありました。 「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである」(第一コリント2:9)、 という聖句でした。昨日朝起きてふと見たらその言葉が飛び込んできました。そのみ言葉は覚えていたので、その一言一言が頭の中で響きあい、心の中をしばらく駆け巡っていました。  神の言葉は単なる言葉ではなく、神ご自身なのです。主の実質、主の実体そのものなのです。なので私たちがその言葉を多く覚えて私たちのものにし、私たちの魂の一部にし、受肉させるなら、御子イエスさまが人となられ神の言葉が受肉されたように、私たちに神の言葉が宿るようになるのです。  私は今300超のみ言葉を日本語と英語で、聖句によってはスペイン語、ギリシャ語、ヘブル語でも覚えつつあります。暗唱聖句をいっぱい覚えると、説教を語る時にも大いに役立ちます。自分の弱さを覚える時、孤独を感じる時、課題に壁を感じる時、四面楚歌を感じる時、信仰を試されている時、覚えている神の言葉が魂の中に躍り出て語りだすのです。そして私たちは信仰と勇気と希望と平安で満たされるのです。  神の言葉を多く覚えましょう。  暗唱聖句は宝物以上の存在である事を体験して知りましょう

主は眠っている者に目を覚ませと語られています

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  「あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです」(テサロニケ人への手紙 第一 5章5~7節)。  今の日本はリバイバルの夜明け、真っ暗な闇のとばりから朝焼けが始まり薄明るくなる前の状態です。目を覚ましましょう。主の訪れを迎える準備を進めましょう。祈りに燃やされましょう。神の言葉の上にさらにしっかりと立ち続けましょう。示された罪は悔い改めましょう。赦してない人があれば赦しましょう。和解すべき人があれば和解しましょう。  主の臨在が訪れると、魂は呼びさまされ眠りからさまされます。信仰の覚醒がなされます。今までうっすらとしか見えなかったものがはっきりと見えるようになります。分からなかったみ言葉が嘘のような悟りが与えられます。主の心が教えられ、主の指示を明確に捉えることができるようになります。  主は近いことを覚えましょう。  主と同じ心、同じ思いをもって私たちを通して主のみ力とみ業を現して頂きましよう。

右にも左にも曲がらず主に従い続け主に信頼する生涯を送る人生は何と難しい事か

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  エリヤはイゼベルの脅しに逃げ出し、ペテロも三度も主を否定し、アブラハムは妹と偽って妻をパロに召し入れさせました。あのダビデでさえも家来を死なせてその妻を奪いました。それでも主はデビでのことをウリやの妻バテシバのことの他は、主の目にかなう事を行い主の定めとおきてに背かなかったと記されています。ヨシア王は主の定めとおきてに生涯従いましたが主に伺わず主に依り頼まず闘いに出て行ったので死にました。アサ王は35年は主に従い依頼んで生きましたが、最後の6年は神に寄り頼まず、金に医者に頼り主の僕を虐げました。  聖書は主に従い、神の定めと仰せを守り右にも左にも曲がらず、主に信頼して生きる人は、「その一生は真昼よりも輝き、暗くても、それは朝のようになる」(ヨブ記 11章17節)、「その一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる」(詩篇 103篇5節)と約束されています。あの堕落したソロモンでさえもこう諭しています「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」と。  私たちは皆罪赦された罪人で、主は私たちが罪を犯す弱い存在である事をご存知です。御子主・イエスさまの完全で永遠の贖いがなければ、誰一人義なる神さまの前に立つことはできないのです。しかし私たちの主は義なる神で私たちはその民、神の子とされましたのて、父なる神さまは私たちも義なる者になるよう求められているのです。故に私たちは生涯心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主を愛し、主に信頼し、神のみ声を伺い、従い続け主の祝福と恵みと守りと安息を得て生きていくのてす。  神の民とされているなら神の求められる一生を生きるのが最高なのです。  神の子とされているなら悪魔やこの世の声に耳を傾けず、主の声に聞き従って幸いな道を歩み続けて参りましょう。

神さまを動かす祈り

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  私たちは毎日主に祈っているでしょうが、取り分け危機の時にはどれだけ生ける神を信頼しているかという、真剣さが祈りに現れるものです。  ユダ王国でアサが王であった時、エチオピアが百万の大軍で攻めてきました。ユダには58万の軍隊がありました。主・イエスさまは言われました。「どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようとするときは、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つことができるかどうかを、まずすわって、考えずにいられましょうか。もし見込みがなければ、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和を求めるでしょう」と。そのような状況の中アサは万軍の神に依頼み祈り求めました。  「アサはその神、主に叫び求めて言った。『主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください』」(歴代誌 第二 14章11節)。  かくして、アサの祈りに答えられた神さまと神の軍勢がエチオピアな軍勢を打ち破り一人残らず滅ぼし尽くし、多くの分取りもの、獲物、多くの羊やラクダを得てきたのです。しかし、そのように主がアサの祈りに答えられたのは、アサが主がよいと見られること、御目にかなうことを行い、主が忌み嫌うものを一掃し、偶像を打ち壊し、民と共に主を求め主の定めとおきてを守り行つていたのです。私たちも日々主の御心の中に生き、主の願われる事を行い、主の定めを守っていくならば、必ずや人生を左右するような問題の時に主を動かす祈りができるのです。  主は私たちの心をいつも見ておられる事を忘れないようにしましょう。  主を第一にするなら主も私たちを尊いものとして扱ってくださる事を覚えましょう。

神に敵するほど怖いことはありません

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  ノアの洪水の時、神のメッセージを無視して馬鹿にした人々は死に絶えました。イスラエルを追って紅海に進んできたエジプトの精兵と戦車は波に飲まれて溺れ死にました。生ける神の名を持って石投げ器で出てきた紅顔の少年ダビデに巨人ゴリアテは倒れました。エルサレムを囲んで生ける神を罵ったアッシリヤの軍は一晩で185000人が一人の天使により撃ち殺されました。  今の時代も、無神論者の国である、北朝鮮の金正恩や中国の習近平や、キリスト信者であると嘯いているロシアのプーチンも、高慢になり神に栄光を帰せないなら、ヘロデ王のように虫に噛まれて息絶えることもあるのです。キリスト信者でも、聖霊なる神を欺くならアナニヤとサツピラのように生涯を終わらせるのです。  私たちはその生ける主の僕、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。主を畏れ、主に従い、主の御心を行い、主の指示を成し遂げるのです。  魂の中で主に明け渡してない部分は主に敵対しているのですから直ちに主に降参して明け渡しましょう。  

誰が天国で主のみ側におれるのでしようか

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  ある人が天国を見せて貰いました。主・イエスさまのそばに多くの人がいましたが、彼は知っている人を見つけました。それは、教会の近くで路上生活をしてる人でした。彼は主に尋ねました。「主よ何故この人があなたの側にいるのですか」と。すると主は「この人は少ないものしか受けなかったのに私のために多くのものを与えてくれたからだ」と答えられたのです。彼はまた、遠くの方に有名な伝道者がいたので彼のそばに行って聞きました。「あなたは有名な伝道者でしたがどうしてこのように主から遠いところにいるのですか」と。すると伝道者は「私は主から多くのものを受けましたが僅かなものしか返せなかったのでここにいるのです」と。  私たちはそれぞれ主から受けたものが違います。しかし、多く受けた人は多く主にお返しして当然なのです。僅かしか受けなかった人が受けた以上に主にお返しできたらそれは主に喜ばれ褒められることです。多く受けた人が僅かしか主にお返し出来なかったらそれは情けない、恥ずかしい思いを天国でするでしょう。  私の教会に統合失調症で癲癇持ちの兄弟がいました。親に恥ずかしいと言われ、自宅に帰ると家から出歩くなと言われて馬鹿にされていました。夜中に隣の銀行の駐車場でタンバリンを叩きながら大声で賛美したり、自転車に乗りながら大声で賛美したりしてましたが同じような病気の人にいっぱい伝道して救いに導きました。彼がアパート住まいになり、多くの同じような友人たちが彼の元に集まってきました。障害者年金をもらっているのに家族に多くピンハネされ週に千円しかない人などです。彼は親から支援もして貰ってたので冷蔵庫に食料を買ってありましたが、友人たちが可哀想で自由に冷蔵庫から食べさせていました。彼が食べるものがない状態が度々ありその都度私のところに来て何か食べるものがあればくださいと言いに来ました。その都度差し上げましたが、彼は主の愛を持って友人にしてあげていたのです。彼は交通事故で天に召されましたが必ず主のみ側近くで安息を得ているのです。  主に多くを受けた私たちはさらに多くを主にお返しすべく大いに主の業のために働きましょう。  主はご自身の命をかけて私たちのために贖いを成し遂げ、天のみ国世継ぎとしてくださったのですから、溢れるばかりの感謝の心で主の願いとみ心を果たしていきましょう。

主に仕えるのとこの世の王に仕える違い

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  ソロモンの子レバべアム王はその国が堅固になり強くなるに及んで主の定めと戒めを捨て、心から神さまを捨てました。それで主はエジプトの王シシャクに渡され、ダビデとソロモンが蓄えた金銀財宝を全て奪われました。  レバべアムは謙り主の前に遜ったので、全滅は免れましたが、以後イスラエル王国もユダ王国も異国の王たちに仕えるようになっていくのです。やがて彼らは容赦なく好むものを奪い、金銀を課し、家畜や農作物を持って行くようになります。そうして、民も王も主に仕えることは世の王に仕える事より遥かに素晴らしいと悟るのです。その事を主は、 「彼らは彼のしもべとなる。わたしに仕えることと地の諸王国に仕えることとの違いを思い知るためである」(歴代誌 第二 12章8節)と仰せになられたのです。  私たちも神の民とされたのに神に従わず、主の定めと教えをないがしろにして、主を軽んじ、疎んじるなら、レバべアムと同じように、この世の君に仕えるのと主に仕える違いを見せられ、思い知らされることになります。主のみ業が顕著になればなるほどそれは明確になるでしょう。  主は憐れみ深く恵み豊かな方である事を覚えて、心から主だけに信頼して従って参りましょう。  人に仕えるよりも主に仕える事の方が遥かに素晴らしく、楽である事を体験して心に刻んでいきましょう。  

準備できてますか

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 昨年分の所得税の確定申告の提出が終わりました。気持ちが楽になったので、チャペルのフエロシツプルームにするリビングの書類を整理しています。不要な書類が山のように出てきました。これは来年開校する神学校の教材に使えると思うものもあります。フエロシツプルームにはコーヒー豆の焙煎機とドリッパーが一緒になってる機器を、今まで使っていたテレビ台の上に置き、皆がブラジルはパライソ農園が無農薬有機栽培した豆を焙煎してドリップして飲めるように、準備を始めました。  私たちは主が日本に訪れてくださる時の準備をしているでしょうか?終末のリバイバルが日本に起こり、人々が教会に押し寄せて来るための心備えはできているでしょうか?私たちに人々が「あなたの信じている神さまに死にかかっている私の子のために祈ってください」と泣きつかれたらすぐ主を信じて祈れますか?聖書の神さまについて、天国について、死後どうなるかについて、祈り方について、教えてと言ってきたらすぐ教えられますか?  あどない・いるえ伝道協会はその準備のために毎日祈っています。来年4月に開校するあどない・いるえ神学校はそのような必要を満たす働き人を育成していきます。皆さまのお祈りをよろしくお願い申し上げます。一緒に伝道して参りましょう。一緒に神さまからの訓練を受け主の召と指示を受ける時には神の僕として、信仰の勇者として立ち上がりましょう。  あどない・いるえ伝道協会を用いてください。  あどない・いるえ神学校で学んでください 。

ソロモン王は如何にして堕落したのか

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  ソロモンはダビデが選んだ後継者とされ、ダビデの意思を継いで見事に神殿建築を成し遂げました。ダビデから教訓を受け神殿完成までは良かったのですが、その後神様から、異教の神に仕えるなと二度も戒められたのに無視して神に従いませんでした。それ故神さまによって王国は裂かれ、親子二代で蓄えた全ての金銀財宝は孫の時代に敵に奪われていつたのです。  まず、ソロモンは神の定めに従いませんでした。異邦の妻を娶ってはならない、あなたの心を転じて異教の神々に仕えさせるようになるからと言われた主の命令を最初から守らなかったのです。さらに数えきれない異邦の妻や妾を得ました。また、馬を得る為エジプトに行ってはならないとの定めも破りました。  ソロモンは主を心に据えなかったのです。神殿建築と奉献以降はソロモンが行った事ばかりで、主に信頼したとか、主の律法を読んだとか、主に感謝や賛美をしたとかは書かれていません。貿易や富を得ることに明け暮れしたのでしようか。  ソロモンは富と名声で自惚れたようです。富や名声を与えられた主を疎んじるようになったのです。あまりに豊かすぎる生活をしていたのも理由でしょう。意味じくもソロモン本人が語り、私たちも祈る言葉があります。 「貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、『主とはだれだ』と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために」(箴言 30章8~9節)。  「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです」(コリント人への手紙 第一 10章11節)のみ言葉を心に留めましょう。  立っていると思う者は、倒れないように気をつけましょう。

ミッション・あどない・いるえ改めあどない・いるえ伝道協会の昨年分の決算、申告書作成完了して、妻の分も終わりました。

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   あとは息子の確定申告書を作成して明後日税務署に提出に行きます。  昨日は疲れて今朝も遅く起きました。例年のことながら決算、申告が終わるとホッとします。  私たちは召された主から仰せられたことをやりきり成し遂げたら、どんなにか達成感に喜ぶことでしよう。  なすべき務めの指示をしっかり確認して受け取り、聖霊なる神の助けと完成させてくださる主・イエスさまを仰ぎながら前進してまいりましょう。

決算途中で試算表の貸借が合わなくなりました。

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決算途中で試算表の貸借が合わなくなりました。複式簿記の原理によれば貸借は必ず合うはずなのです。  精査したところ、期中で勘定科目を減らしていたことがわかりました。減らした勘定科目に合わない金額の残高がありましたのでその科目を復活させ、改めて試算表を作ると貸借が合致しました。2時間かかりました。  私たちは問題が起こった時、自分は悪くないと思い込んでしまう時があると思います。しかし、時に自分の過ちが原因となっていることに気がつかないこともあるのです。そんな時は、神の前に謙り、祈り、何が悪かったのか主に聞くべきなのです。聖霊なる神さまが必ず教えてくださいます。  神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています、とヘブル書に書かれています。  全能の神の民とされていることは何と素晴らしいことなのでしようか。

義の太陽であるキリスト

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  今朝は栃木は6時20分に日が出ました。雲ひとつない空は5時から薄明るくなってきました。5時までは月の明かりもない真っ暗でした。  義の太陽である主・キリストが現れると闇は消え、暗闇の勢力は跡形もなくなるのです。私たちの魂に希望がなくても希望の神が失望や絶望の状態に望みを見せてくださいます。どんな凍てつく寒い心をも氷を溶かし暖かさで包んでくださいます。憎しみあってた関係の中に赦す力を与えてくださいます。恐れと不安と恐怖に満ちていた魂に平安と安息で満たしてくださいます。進むべき道が分からずさまよっていてもこれが道だこれに歩めと示してくださるのです。確信がない時にみ言葉を与えられます。孤独な時にはインマヌエルの神の実質を教え決して見捨てないと約束してくださるのです。  太陽が昇ると全てがよく見えるようになります。キリスト者の信仰を増し、生き方を変え、世界を変えます。神の神子が現れたのは悪魔の業を打ち砕くためなのです。暗闇の支配者である悪魔と悪霊が人類に対して最後のあがきをしているときに、悪霊を追い出し、悪魔の呪いから解放し、罪の奴隷である状態から救い出し、病を癒やし、神に仕える人に変えてくださるのです。  私たちは闇が深くなればなる程、目を覚まして熱く祈り、主を慕い求め、リバイバルと魂の覚醒、信仰の復興を求め続けて参りましょう。  主は霊を注ぎ、御言葉を与え、信仰を強め、とりなす力、祈る力を与えてくださるのですから。

偽預言者も地獄に落とされる

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  偽預言者とは、神から預かってない言葉を神から預かったとして語り、人を騙すものです。そもそもキリストを信じてない存在だと考えられます。なので、黙示録に悪魔と悪霊のために備えられた火の池に偽預言者も投げ込まれると書かれています。生ける神を信じ従っていながら神さまから預からなかつた預言をする人は天国に行きますが神の前に立つ時正しく評価されることでしょう。  今偽預言者とは誰かと考えると、統一教会員、モルモン教の信徒、エホバの証人の信徒などの異端でしょう。聖書を持っているかも知れないが、その解釈を自分たちの恣意的解釈に基づいて、御子の神性を否定したり、キリストは杭に付けられて死んだなどと教えて、キリストを救い主として信じてない人々です。  しかし、キリスト教会内でも、悪魔に用いられ、誤り歪んだ教理を教えている教師たちがいます。死後に救われる機会があるとか、キリストを信じても悔い改めないなら地獄に行くとか、聖霊の働きを今はないとか、奇跡を信じないとか、これらの教師は救われてますから地獄には行きませんが、厳しい裁きを受けるのです(ヤコブ三章一節)。厳しい裁きとは最悪この世で裁かれるのか、あるいは天の御国で受ける報いが無くなるのかそれは分かりません。主のみご存知です。  私たちは神の言葉を頂いているのですから、それを100%信じ、主の御心に従って参りましょう。  神の愚かは人よりも遥かに賢いのですから、全てに神の主権を認めて生活してまいりましょう。