主に仕えるのとこの世の王に仕える違い

 

ソロモンの子レバべアム王はその国が堅固になり強くなるに及んで主の定めと戒めを捨て、心から神さまを捨てました。それで主はエジプトの王シシャクに渡され、ダビデとソロモンが蓄えた金銀財宝を全て奪われました。
 レバべアムは謙り主の前に遜ったので、全滅は免れましたが、以後イスラエル王国もユダ王国も異国の王たちに仕えるようになっていくのです。やがて彼らは容赦なく好むものを奪い、金銀を課し、家畜や農作物を持って行くようになります。そうして、民も王も主に仕えることは世の王に仕える事より遥かに素晴らしいと悟るのです。その事を主は、
「彼らは彼のしもべとなる。わたしに仕えることと地の諸王国に仕えることとの違いを思い知るためである」(歴代誌 第二 12章8節)と仰せになられたのです。
 私たちも神の民とされたのに神に従わず、主の定めと教えをないがしろにして、主を軽んじ、疎んじるなら、レバべアムと同じように、この世の君に仕えるのと主に仕える違いを見せられ、思い知らされることになります。主のみ業が顕著になればなるほどそれは明確になるでしょう。
 主は憐れみ深く恵み豊かな方である事を覚えて、心から主だけに信頼して従って参りましょう。

 人に仕えるよりも主に仕える事の方が遥かに素晴らしく、楽である事を体験して心に刻んでいきましょう。 

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