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4月, 2023の投稿を表示しています

福音を信じ告白した者に起こること

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   「十字架の言葉は滅び行く者には愚かであるが、救いに預かる私たちには神の力である」(第一コリント1章18節)  私が乗った飛行機のエンジンに鳥が突っ込みエンジンから火が出て、墜落する事が分かった状態になった時、隣に墜落して死ぬという恐怖で恐れ慄いている人がいるのを見て、「あなたはイエス・キリストを信じていないのですか?」と聞きます。彼は「信じていません」と震える声で答えるので、「キリストだけが天国への道なのですから信じませんか」と聞き直します。彼は「信じたいので教えてください」と答えました。私は「人は皆罪人で死後黄泉に行き、神の裁きを受けて地獄に行くのですが、キリストはあなたのために十字架で全ての呪いと罪を負って、あなたの身代わりとなり死んでくださいました。しかし3日目に甦って貴方がキリストを信じるなら天国に迎えてくださいます」と伝えます。彼は「キリストを信じますから私のために祈ってください」と言うので彼が祈りの中で主を信じ告白するのを導きました。  キリストを信じた彼はどのような事が実際に起こるのでしようか。 1:彼の罪が赦されます。 2:彼の名がいのちの書に記されます。 3:彼は神の子となります。 4:彼に関わる全ての呪いから解放されます。 5:彼は永遠に神に裁かれる事がなくなります。 6:彼は神の守りの対象となります。 7:彼は死んだら天国に迎えられます。  先日の自衛隊ヘリコプター事故で優秀な指揮官も無くなりました。人の死は突然訪れます。その時に福音を聞いて信じる事は非常に稀です。人は生きている時にしか、キリストを信じて救われる機会は与えられていないのです。私たちは全ての人にこのキリストの福音を伝えるべく生かされているのです。私たちの大切な人が読みに行き地獄に行かないためにも恐れないで福音を伝えていきましょう。  私たちはキリストにある福音の使者であることを忘れないようにしましょう。  恐れがあるなら神さまに恐れを取って大胆さが与えられるよう祈りましょう。

神はどのような人を用いられるのか

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  神のために働く準備ができている人を神は用いられます。その人の過去は問われません。  どんなに酷い罪を犯した人でも神は用いられます。誰からも期待されていないような人を神は用いられます。神は浮気ばかりしている人や売春婦を牧師にとして用いることができます。日本ではかつてヤクザだった人が親分はイエスさまと言って神のために働いています。  私たちは弱く失敗し、誘惑に負けてしまう者です。しかし、悔い改めたら、主は過去を赦されるのです。だから過去を捨てて、新しい神にある人生を生き続ける事が大切です。過去を思いだしたり感じる事を主・キリストの御名の権威により拒絶し続けましょう。そうすれば、神の恵の中で生きていく事ができます。力ある勝利者の人生を。やってみて成功しなかつたら、もう一度神にあって立ち上がるのです。主は私たちを建てあげる事ができます。私たちの人生にやってきた恥は消え去り、私たちに対して人々が語った言葉も取り除かれます。  誰でもキリストにあるならその人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、見よ、全てが新しくなったのです。  天と地を造られた主は同じみ腕を持って私たちを作り上げられることを信じて生きていきましょう。

選挙運動に思う

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  先週の日曜日息子の家具店の礼拝に行った時、某県議会議員選挙の立候補者の宣伝カーが止まっていてうぐいす嬢達が打ち合わせをしていたのて、妻が「おはようございます」と挨拶をしたが、何も挨拶を返さず無視していたのです。昨日道路を渡ろうとしていたら同じ候補者の宣伝カーが横断歩道前でスピードを上げて走り去って行きました。  余程余裕が無いのでしようか。否、彼らには自分達の仕事を果たすしか考えていないのです。選挙人こそ政治の主である事は意識に全く無いのです。おそらく当の立候補者本人がそのような意識が低くスタッフにもそのような意識が暗黙に伝わっていたのでしょう。それは有権者に対する正しい振る舞いではありません。普通の車でも横断歩道に人が立っていて渡りそうだったら止まるのです。挨拶をされたら挨拶を返すのが普通なのです。そういう社会的常識がない人が議員になったらその地域は不幸せになるでしょう。  選挙の結果は残念ながらその立候補者は当選してました。これからの県政はどんなになるのでしょう。  私たちの最大の選挙は永遠を誰と過ごすのかと言うもので私たちは私たちの為に死んで甦られたキリストを必ず選び続けなければならないのです。  

イースター

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  「イエスは、その十一人が食卓に着いているところに現れて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである」(マルコの福音書 16章14節)  主の弟子たちは3年の間主と共に生活してました。主が十字架にかけられて死なれ、3日目に甦る事も主から聞いていましたが、弟子たちには信じられなかったのです。しかし、実に主は甦られたのです。マグダラのマリヤに現れ、エマオに向かう弟子達に現れ、ユダヤ人達を恐れて施錠して慄きながら集まっていた弟子達の真ん中に来られて、ご自分を現され、弟子達の信仰を奮い立たせられました。  マルコはその後、主が信じる者にはと語られた決別メッセージに発奮し、天に帰られた主を見た弟子たちは、最早恐れはなく、至る所で福音を語り始めたと記しているのです。主もまた彼らと共に働かれてみ言葉に伴うしるしを与えられました。そして今や日本の私たちのところにもやってきました。私たちのなかにはユダヤ人を恐れてキリスト者である証も言えなかった弟子達のような人もいるでしょう。しかし、復活のキリストにまみえたならばその恐れは消え去り、大胆に証する力が与えられるのです。  私たちはこのイースターの時、魂の目をしっかり見開いて復活の主にまみえようではありませんか。  罪と誘惑と悪魔と死に撃ち勝たれた、内住の主が私たちから輝き出られるようにいたしましょう。

日本に神の軍隊ができる

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  その軍隊の敵は中国でもロシアでも北朝鮮でもなく、悪魔・悪霊です。その武器は巡航ミサイルでもなくレーザー銃でもなく、神の言葉と信仰と祈りと万軍の主の御名とその権威と力、キリストの十字架の血潮です。  神の軍隊の目的は滅びゆく魂を悪魔と悪霊から取り戻し、悪魔の口から吐き出させ、奴隷状態や呪縛から解放し、キリストの救いを受けさせる事です。その為に祈り断食して悪魔を縛り上げ、地域や人から追い出さなくてはなりません。  神はご自身の軍隊を動かす歯車を動かし始められます。神のみ手が神の民を動かして、神の軍隊を作る全ての必要、全ての力、全ての人材、全ての財を主ご自身が与えてくださるのです。あどない・いるえ神学校はそのような神の軍隊を創り上げる訓練所なのです。祈り、神の言葉を蓄え、信仰を鍛え、召された人を神の兵卒として訓練していきます。  学歴も年齢も問わず、主婦やビジネスマンでも神に心動かされた人を迎えていきます。  神の言葉を説教としていつでも誰にでも語れるように訓練し、神の指示を聞けるように魂を整え、死に至るまで忠実な神の勇士に鍛えてまいります。

神の時

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   北方王国ユダとその都エルサレムが荒廃に晒されて70年、主がエレミヤの口を通して語られた言葉が実現し、地は安息したのです。その70年が過ぎた時、主なる神はペルシャの王キユロスの心を動かされ、エルサレムに主の神殿を再建する命令を出したのです。その為に主の民に属する者で神に心動かされた人はエルサレムに帰るようにキユロス王をして語られたのです。  キユロスが王になった時ダニエルはペルシャにいて、国の高官であったと思われます。ダリヨス王からキュロス王の治世にダニエルは活躍したとダニエル書6章に記されています。またキユロス王の元年まで王に仕えていたとダニエル書I章に記されています。おそらく王位に着いたキユロスは、ダニエルに神がこれからなさる事や、天にいます唯一の神である事を教えられたのでしよう。  神の時に神の人ダニエルが用いられました。私たちもダニエルのように、日々感謝し祈り、王の命令よりも神に従い、神に依頼む神の僕になっているなら、神に用いられる存在となるのです。そして誰も見たことも聞いたことも思い浮かんだ事もない神の業を目の当たりにする事になるでしょう。  私たちの祈っている事柄についての神の時が来た時に、主にその事をはっきり分かるように教えてくださいと祈っていきましょう。  神の事柄は神の時に神の方法で神の助けにより実現していく事を覚えておきましょう。

取りなしの祈りの必要性

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   日本は世界で最大の殉教者が出ました。殺された人の血が土の中から叫んでいると主なる神は言われます(創世記4章10節)。殺された殉教者の魂が祭壇の所から、私たちの血の報復を地に住む者たちに対していつまでなさらないのですかと叫んでいるのです(黙示録6章)。  悪魔はその叫びを利用して「神よ、何故この地の日本人たちを祝福するのですか。彼らは殺人者ですよ」と言っているのです。なので、私たちはその血の叫びを黙らせなければならないのです。どのようにしてですか?十字架で人の罪のために流された御子主・イエスの血を用いる事です。多くの血が流された戦場跡などの山や谷などどこであっても、私たちはそこに主・イエスの血潮を注ぎかけて、主・イエスの御名により彼らの叫びを黙らせるのです。「黙りなさい、暗闇の祭壇よ。地から叫んで復讐を叫ぶその血よ。今主・イエスの血潮が注がれたのだから黙りなさい」と。  今日本はそのような祭司の務めをする取りなしをする人が必要なのです。日本のために取りなし、日本人のために祈り、日本人のために行動する人が多く必要なのです。行動とは、道であり命であり救い主である主・キリストを伝える事です。それが恥ずかしいと思うのをやめて語るのです。  日本人は主・イエスの元に戻らなければならないのです。  どの人もかの人も皆救われて天国に連れていかなければならないのです。

祈りの必要性

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   神の御子主・イエスは天からこの地に来てくださいました。アダムとエバのDNAを受け継がないで、聖霊なる神のDNAを持つお方として生まれられました。それなのに公生涯の始めにパブテスマのヨハネから洗礼を受けられると40日荒野で断食されました。その間主・イエスは何をされていたのでしようか。これからの生涯でなすことのために祈っておられたのです。40日祈り終えた時悪魔が主・イエスのこれからの業を意味なきものにしようと誘惑し、罪を犯させようとやってきました。主・イエスは神の言葉で悪魔に打ち勝たれました。  この世の神は悪魔です。アダムが罪を犯したのでアダムに与えられていた世を治める力を全て奪ったのです。だがら今の世界の全てのシステムは悪魔の物なのです。それをもって悪魔は人々を支配し束縛しています。でも私たちはキリストにあってその人々を神へと取り返そうとして働いています。  私たちは主・イエスさまよりもさらに祈つていかなければならないのです。私たちはアダムとエバのDNAを受け継いでいて誘惑にすぐ負けてしまう性質を持っているからです。主イエスさまは悪魔に支配され束縛されている人々を解放し救い出すために来られました。そして悪魔の頭を撃ち砕かれたのです。ですから私たちはその主・イエスの御名により人や地域から悪魔を縛り追い出すことができるのです。  私たちは神の恵みの中で安堵して休み過ぎてはならず滅び行く魂のために祈り続けなくてはいけません。  主・イエスが付与された神の権威と力により、人々を騙し殺していくこの世の神悪魔より強い真の神を示し立ち返らせなければならないのです。

地域や個人の魂を束縛している悪霊を縛りあげて人々を滅びから救い出しましょう

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  「強い人よ。見よ、主はあなたを激しく投げ倒される。主はあなたを硬く捕まえわしづかみにし、ぐるぐる回して、まりのように、広々とした地に投げ捨てられる」(イザヤ書 22章17~18節)。 「確かに、強い人の家に押し入って家財を略奪するには、まずその強い人を縛り上げなければなりません。そのあとでその家を略奪できるのです」(マルコの福音書 3章27節)  神の言葉は人々の魂が悪魔・悪霊に神に不従順な故に束縛されていて、その人々を救い出すためには先ず悪霊を縛り上げなければならないことを教えています。キリストの贖いを伝えても心を頑なにして信じ受け入れようとはしないのはそういう理由があるからです。  悪魔と悪霊は自分たちのために備えられた第二の死である地獄に一人でも多くの神が愛されている魂を道連れにしたいので、人々がキリストの福音を聞く前に、信じ受け入れる前に殺そうとします。何故なら生きている時しかキリストの罪の刑罰からの贖いを受け取る機会はないからです。  有効的なキリストの宣教は、地域や個人に取り憑いている悪魔・悪霊が縛り上げられ追い出されていなければできないのです。なので私たちは主にどのような地域と個人の悪霊を縛り上げ追い出すべきかを聞かなければならないのです。  現実の世界で人々が救われるためには、霊の世界で悪霊が縛り上げられ追い出されている事が必要である事を覚えておきましょう。  そのために召された人は、異言で祈り、神の言葉にしっかりと立ち、神に従って、悪魔に立ち向かい続ける事を肝に銘じておきましょう。

昨夜は自治会の総会があり、その後飲み会になりました。

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   皆の話題は、誰が死んだとか、どの学校が良いとか、今年の祭りはどうするとか、チタケうどんが美味いとか、こんな魚を釣ったとかと言う自慢話や噂話です。  私たちキリスト信者が集まったら何を話題にしているのでしようか。あの神学校がやめたとか、かの牧師が罪を犯したとか、あの素敵な礼拝堂を建てた教会が羨ましいとかといつた会話が中心になっているなら世の人と全く変わりません。  生ける神の宮とされている私たちの関心の中心は主・キリストであるべきなのです。昨日こんなメッセージを頂いたとか、素晴らしい集会で癒しがあったとか、聖霊が強く望まれて全員が悔い改めたとか主が崇められ、主に栄光が帰されていなければなりません。  そうすれば聖霊さまに好まれるところとなりますます神の風が吹き荒れるでしよう。  生活の中心、願いの中心、会話の中心、心と魂の中心にするなら、主もまた私たちを御心に留めてくださり、み業を現してくださいます。

昨日は息子が幼い頃東京の高円寺でお世話になっていた姉妹を訪問しました。

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  日光市で老人介護施設毎日クリスマスを立ち上げお嬢様に譲られました。ご主人は既に天に帰られ体調を崩されご自分の療養のために沖縄に行かれていましたが帰って来られました。  御歳88歳になられましたが、賛美が大好きで、絵を描かれる方です。昨日は木蓮が満開、桜も五分咲き、他の花も咲きつつある大きな庭を見ながら積極的にリハビリをしながら尋ねる人を包み込むような人柄に誰もが癒されていきます。  いつも喜んで感謝しているとはこの姉妹のことだなと感じるのですが、私もそうなりたいものです。  言葉でなく生き方でキリストを証する事はいかに大切であるかを教えてくれる姉妹から多くの事を学ぶのでした。

栃木県県会議員選挙投票券が送られてきました。

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  栃木選挙区は二人が立候補しています。一人は親から県議をしている自民の息子さん、あと一人は無所属で世界を回ってきて愛知や東京で出馬要請があったが応援に回ってだと言う三十代の女性経営者で、政策も詳細に提言してる方です。  栃木市は保守的な街なので、自民党候補者がずっと当選してきました。おそらく今度もそうなると思うますが、実際に選挙を応援活動してきて世界を見てきた広い視野を持つ方に1票入れたいと思いました。私たちのために変わって議員となってくれるなら、より広く国や世界を知り、どうすればこの街が良くなるかを知っている人の方が相応しいと思うのです。  私たちの人生に助言を与え、進む道を整え、最高の便宜を払ってくださるのは素晴らしい助言者、法律と対応を知り尽くした弁護士のような主・キリストをいつも魂の全てで支持してまいりましょう。  このお方は人ではなく、永遠の未来まで全世界をすべ治めていかれる神さまなので、歴史も、主権も、全ての良きものもご自身の手に握っておられるお方なのですから。

レプタ二つ

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   年金は給料でないから収入でなく、自分で投資して得たものも収入でないから十一献金の対象ではないとして献金をしない兄弟がいました。献金は神さまと自分との関係で、自分自身の献身を表すものです。一般的な十一献金の理解も彼のように捉えることはできます。しかし、それで良いとは言えないと思います。  ユダの王ヒゼキヤは人々に主に仕える祭司たちやレビ人が務めに専念できるために人々に献げるよう命じると、穀物、新しいぶどう酒、油、蜜など、すべての野の収穫の初物やすべてのものの十分の一を豊かに持って来て、さらに牛や羊の十分の一と、彼らの神、主に聖別した聖なるささげ物の十分の一を携えて来て、あちらこちらに山と積んだのです。これは民の自由な意思による献身の現れとしての献げものでした。  主・イエスさまは貧しい寡婦が献金場に入れたレプタ二つを見て彼女は自分の生活費全部を献げたと言われました。旧約聖書の時代に飢饉があった時、子と一緒に最後のパンを作って死ぬのを待とうとしている寡婦に預言者エリヤは先ず私にパンをくださいと何と情け知らずと思われる頼みをしました。しかし、寡婦はエリヤの言葉を神の言葉と受け止め最後の粉でパンを焼いて預言者に与えました。これは寡婦親子の糧の全てだったのです。神はエリヤが語った通りかめの粉は尽きず、壺の油は雨が降るまで無くならないようにされたのです。  ケチな人にはケチな神さまとして対応されるけれど、全てを献げる人には主もまた惜しみなく押し入れ譲り入れ溢れるばかりに与えられるお方であることを体験しましょう。  強いられてではなく、溢れる感謝の気持ちで心から主に献げる者になりましょう。

キリストの体の苦しみの欠け

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  キリストの体は教会です。神の教会は聖書により立体的、3D的に表されています。9つの御霊の実を実らせるよう望まれている聖徒たち、九つの聖霊の賜物が分け与えられている聖徒たち、そして九つの務めを持つ役者たちにより聖徒たちが整えられキリストの花嫁として立てあげられていくというものです。  パウロはキリストの苦しみの欠けたところを満たしていると書いているのは、神の教会の苦しみを自分の体をもって喜んで受けていると語っているのです。ペテロも同じことを言っています。  起こりつつある終末のリバイバルの時、私たちが神の言葉の満額を信じ、生きていこうとする時、仲間と思っていた人から嘲笑、中傷、異端扱いを受ける事でしよう。主・イエスは言われました。「わたしのために人はあなた方を罵り、攻め、ありもしない事で悪口雑言を言うようになる」と。彼らは悪魔に用いられ神の働きを止めようとするのです。しかし、信仰に立ち続け、祈り続けるなら神は輝かしい栄光を現され、私たちは喜び踊り、馬鹿にしていた人は恥入るのです。  主が求められる忍耐の限りを尽くして、置かれた所に立ち続け、信仰の歩みと働きを進めて、神の時を待ちましょう。  神は必ず約束を果たし、ご自身の約束を反故にされず、み言葉を確かなものとしてくださいます。

汝静まりて我の神たるを知れ

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   シャワー浴びて着替えながらふと暗唱聖句が貼ってあるルーバー式の箪笥を見ると「汝静まりて我の神たるを知れ」(詩篇46:10)のみ言葉が目に飛び込んで魂に突き刺さりました。  後ろはエジプトの軍勢、前は紅海という状況でイスラエルの人々はその神の言葉を聞きました。攻略は不可能と思われる堅固な城壁のエリコを前にイスラエルの民はこの言葉を聞きました。紅顔の少年ダビデは鎧兜に身を包んだ巨人ゴリアテを前にその言葉を聞きました。兵力もないユダ王国に押し寄せ神を罵るアッシリヤを前にヒゼキヤ王はこの言葉を聞きました。  今も小さく力無い者が与えられてるビジョンの大きさに途方に暮れている中で「汝静まりて我の神たるを知れ」と全能の神が語られるのです。私たちの神は誰かの助けを要するお方ではなく、全く信頼する僕には太陽や月の動きさえ止められ、砂漠に川を流れさせ、海を分け、隠れた所にある財宝を与え、知恵や力に満たし、死と黄泉の鍵さえ与えてくださるお方なのです。  このお方を100%信じきろうではありませんか。  今まで見た事も聞いたことも思い浮かんだこともない凄まじい体験をさせて頂こうではありませんか。

神の使命は命がけ

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 ユダの王アハズの治世の事です。アハズ王は主を捨て、至る所に偶像を作り、ユダを堕落させ、主に甚だしく背いたので、主はイスラエルの手にも渡され、一日で十二万人が殺され、更に婦女子二十万人を捕虜としてサマリヤに連れて行かれました。  その時主の預言者オデドはサマリヤに凱旋した軍隊の前に進み出て、神からの言葉を語りました。「あなた方は燃える憤りを持ってユダの人々を殺し、多くの捕虜を奴隷にしようと連れてきたが、返しなさい。主はあなた方に対しても罪を問われるのだから」と、意気揚々と大量の戦利品をも勝ち取って来た兵士たちに向かって語ったのです。  これは命をかけての務めでした。しかし、リーダーの一人だったハドライ子アマサが「主に対する罪と咎をより重くしてはならない、捕虜を返しなさい。」と同調し、支持したので事なきを得ました。アハブ王の時には預言者であると言うだけでイザベルによって殺されました。しかし、神は預言者に「わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。あなたは腰に帯を締め、立ち上がって、わたしがあなたに命じることをみな語れ。彼らの顔におびえるな。さもないと、わたしはあなたを彼らの面前で打ち砕く」とエレミヤに語られたように。  私たちは神の全権大使として遣わされているのですから、神の守りは青銅の城壁のように堅固で、誰も私たちには勝てないのです。   万軍の主が伴ってくださるのですから、主に命じられるどんな事も従ってまいりましょう。

朝5時から朝ラーメンを出している山岡家に行きました。

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  もう車が十数台止まっていました。店員もバリバリ動いていました。栃木店は24時間営業の店です。  人の胃袋を掴むために、夜も交代でスープを作り、仕込みをし、店内を綺麗にして、客を迎え、望むものを提供しているのです。  神の教会はどうでしょうか?夜勤の方のためにあるいは当日の仕事前にということで、早朝から礼拝をしてる教会は非常に稀です。しかし、神の助けや祝福を求めている人は多いのです。  私たちもせめて決めた礼拝時間前には十分に自らを整え、場所も綺麗にして、礼拝者が心地よく神に心を注ぎ出し、主を崇め、神の言葉を受けて信仰に満ち、喜びに溢れて出ていけるようにしようではありませんか。  生活に、人間関係に、将来に、不安を持っている人は限りなくいるのですし、そのすべての問題の解決ができる主がおられ、私たちはその僕なのですから。

神の教会の役者は牧師だけではありません。

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   世界的に神学校や聖書学校は専ら牧師を送り出すためのコースしかありません。献身者も全て将来牧師になるものとして扱われ訓練されていきます。  神の定めはそうでしようか。聖書はそうは記されていません。 「神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行う者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです」(コリント人への手紙 第一 12章28節) 「キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです」(エペソ4章11節)  パウロは神が教会に立てられる役者は九つあると語っています。そしてそれらの役者により聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるのだと言っているのです。だから聖書学校も神学校も神学生がどの役者に召されているのかを見定め、本人にも自覚させて、其々が召された種類の役者に相応しく学ばせ訓練していかなければならないのです。  来年4月に開校するあどない・いるえ神学校ではそのような学びと訓練をして参ります。  神が立てられた者が神の定めに沿って整えられてこそ最も相応しい教会での働きをしていく事ができるのです。

神を制限するならあなたの人生に働く神の力も限定されます

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   私たちは聖書を通して神の偉大さを感じ、信じることができます。文字通り全ての事を神はなされるお方と信じることもできますが、これはあり得ないと神の能力を限定することもできます。それは自由意思として人に委ねられているのです。  しかし、全能の神さまは、主の言葉と主の力を額面通りに信じる人に「汝の信じるごとく汝になれ」と絶大なみ力を現してくださいます。キリストは死をも滅ぼされ死と黄泉の鍵を持っておられ全てを服従させられているのだから死人も甦らされると信じるなら私たちを通して死人をも甦らせられるでしよう。  けれども、神の偉大さとみち力を限定する人にはその人に限定的に働かれるのです。主は砂漠に道は造られるけれど、この年老いた者を若返らせるのは無理などと心で思い告白するなら主もまたその通りにあなたになさるのです。御子を賜った程に愛された主を信じたのなら限定せずに徹底的に全能の神さまを信じていこうではありませんか。  私たちを御子にあって無条件で受け入れ、信じ期待してくださる天の父なる神さまの愛を限りなく信じて生きていきましょう。  私たちの想像を超えた宇宙を創造された主は私たちの人生を通しても想像を超えた偉大な業をなされる事を信じましょう。

助ける力があり、つまずかせ倒す力もある神

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   民は大半は指導者の言動になびく存在です。ロシアでも中国でも北朝鮮のような独裁者の国でも同じと言えるでしよう。なので指導者の良し悪しが国の良し悪しを決めることになるのです。  ユダ王国の歴史を見ると一目瞭然です。神に従い信頼することにより強くなり名声が聞こえるようになると、そうされた神を忘れ、神の指示を聞かず、高慢になり、分を超えた事をなし、協議しても墓穴を掘り、自ら倒れるような結果に陥るのです。  それ故、パウロは指導者たちのために取りなし祈るように勧めています。偉くなればなる程謙り、他の人を自分よりも尊び、人を偏り見ず、何よりも神を畏れ、神の定めに従い、神に依頼み、神に全ての栄光を帰すような長になるよう願っていかなければなりません。そんな理想的な指導者はいなくでも、神にあって支える祭司エボヤダのような者たちがいれば指導者の判断も守られるのです。  神の民とされている私たちは世界の指導者たちのために神にとりなす責任があることを覚えましょう。  酷い独裁者だと言う前に彼らのために祈りましょう。