民は大半は指導者の言動になびく存在です。ロシアでも中国でも北朝鮮のような独裁者の国でも同じと言えるでしよう。なので指導者の良し悪しが国の良し悪しを決めることになるのです。
ユダ王国の歴史を見ると一目瞭然です。神に従い信頼することにより強くなり名声が聞こえるようになると、そうされた神を忘れ、神の指示を聞かず、高慢になり、分を超えた事をなし、協議しても墓穴を掘り、自ら倒れるような結果に陥るのです。
それ故、パウロは指導者たちのために取りなし祈るように勧めています。偉くなればなる程謙り、他の人を自分よりも尊び、人を偏り見ず、何よりも神を畏れ、神の定めに従い、神に依頼み、神に全ての栄光を帰すような長になるよう願っていかなければなりません。そんな理想的な指導者はいなくでも、神にあって支える祭司エボヤダのような者たちがいれば指導者の判断も守られるのです。
神の民とされている私たちは世界の指導者たちのために神にとりなす責任があることを覚えましょう。
酷い独裁者だと言う前に彼らのために祈りましょう。
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