キリストの体の苦しみの欠け

 キリストの体は教会です。神の教会は聖書により立体的、3D的に表されています。9つの御霊の実を実らせるよう望まれている聖徒たち、九つの聖霊の賜物が分け与えられている聖徒たち、そして九つの務めを持つ役者たちにより聖徒たちが整えられキリストの花嫁として立てあげられていくというものです。

 パウロはキリストの苦しみの欠けたところを満たしていると書いているのは、神の教会の苦しみを自分の体をもって喜んで受けていると語っているのです。ペテロも同じことを言っています。
 起こりつつある終末のリバイバルの時、私たちが神の言葉の満額を信じ、生きていこうとする時、仲間と思っていた人から嘲笑、中傷、異端扱いを受ける事でしよう。主・イエスは言われました。「わたしのために人はあなた方を罵り、攻め、ありもしない事で悪口雑言を言うようになる」と。彼らは悪魔に用いられ神の働きを止めようとするのです。しかし、信仰に立ち続け、祈り続けるなら神は輝かしい栄光を現され、私たちは喜び踊り、馬鹿にしていた人は恥入るのです。
 主が求められる忍耐の限りを尽くして、置かれた所に立ち続け、信仰の歩みと働きを進めて、神の時を待ちましょう。
 神は必ず約束を果たし、ご自身の約束を反故にされず、み言葉を確かなものとしてくださいます。




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