説教には自分の体験を例話としましょう

 


 ある説教集を読みました。そこには多くの説教者の語ったものが印字されていましたが、そこで使われている例話は殆どが昔の信仰者や海外の有名な説教者の言葉でした。

 文章も話も起承転結を用いると分かりやすく説得しやすくなります。説教も然りです。その起の部分などに例話を入れて説教を始めたりするのですが、その例話を何にするか、説教者は相応しい話を探しまくるのです。しかし殆どの説教者が見つけて用いるのは過去の他人の話なのです。いくら感動する話でも他人の話は借り物なのです。
 失敗した話でも自分のものなら、誰も中傷などせずに、笑い話になるでしょうが、自分が体験したことですから説得力が最高にあるのです。より素晴らしい体験をするには日毎の信仰生活や神さまを体験していかねばならず、その偽らない実際の生き様を説教を通して語っていくことが大切なのです。飾った言葉や借り物の話で散りばめでもいのちが入ってない説教では人の心は動かせないのです。どんなに聖書講解や歴史的背景を学ぶより、神の言葉を信じて毎日を極め尽くして生きてそれを語るのは何よりも人々の魂を神に向けさせていくのです。
 み言葉に生きて語る説教者になりましょう。
 借り物ではなく、自分の主なる神さまとの体験を語れる者になりましょう。

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