右にも左にも曲がらず主に従い続け主に信頼する生涯を送る人生は何と難しい事か

 エリヤはイゼベルの脅しに逃げ出し、ペテロも三度も主を否定し、アブラハムは妹と偽って妻をパロに召し入れさせました。あのダビデでさえも家来を死なせてその妻を奪いました。それでも主はデビでのことをウリやの妻バテシバのことの他は、主の目にかなう事を行い主の定めとおきてに背かなかったと記されています。ヨシア王は主の定めとおきてに生涯従いましたが主に伺わず主に依り頼まず闘いに出て行ったので死にました。アサ王は35年は主に従い依頼んで生きましたが、最後の6年は神に寄り頼まず、金に医者に頼り主の僕を虐げました。

 聖書は主に従い、神の定めと仰せを守り右にも左にも曲がらず、主に信頼して生きる人は、「その一生は真昼よりも輝き、暗くても、それは朝のようになる」(ヨブ記 11章17節)、「その一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる」(詩篇 103篇5節)と約束されています。あの堕落したソロモンでさえもこう諭しています「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」と。
 私たちは皆罪赦された罪人で、主は私たちが罪を犯す弱い存在である事をご存知です。御子主・イエスさまの完全で永遠の贖いがなければ、誰一人義なる神さまの前に立つことはできないのです。しかし私たちの主は義なる神で私たちはその民、神の子とされましたのて、父なる神さまは私たちも義なる者になるよう求められているのです。故に私たちは生涯心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主を愛し、主に信頼し、神のみ声を伺い、従い続け主の祝福と恵みと守りと安息を得て生きていくのてす。
 神の民とされているなら神の求められる一生を生きるのが最高なのです。
 神の子とされているなら悪魔やこの世の声に耳を傾けず、主の声に聞き従って幸いな道を歩み続けて参りましょう。



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