誰が天国で主のみ側におれるのでしようか

 

ある人が天国を見せて貰いました。主・イエスさまのそばに多くの人がいましたが、彼は知っている人を見つけました。それは、教会の近くで路上生活をしてる人でした。彼は主に尋ねました。「主よ何故この人があなたの側にいるのですか」と。すると主は「この人は少ないものしか受けなかったのに私のために多くのものを与えてくれたからだ」と答えられたのです。彼はまた、遠くの方に有名な伝道者がいたので彼のそばに行って聞きました。「あなたは有名な伝道者でしたがどうしてこのように主から遠いところにいるのですか」と。すると伝道者は「私は主から多くのものを受けましたが僅かなものしか返せなかったのでここにいるのです」と。
 私たちはそれぞれ主から受けたものが違います。しかし、多く受けた人は多く主にお返しして当然なのです。僅かしか受けなかった人が受けた以上に主にお返しできたらそれは主に喜ばれ褒められることです。多く受けた人が僅かしか主にお返し出来なかったらそれは情けない、恥ずかしい思いを天国でするでしょう。
 私の教会に統合失調症で癲癇持ちの兄弟がいました。親に恥ずかしいと言われ、自宅に帰ると家から出歩くなと言われて馬鹿にされていました。夜中に隣の銀行の駐車場でタンバリンを叩きながら大声で賛美したり、自転車に乗りながら大声で賛美したりしてましたが同じような病気の人にいっぱい伝道して救いに導きました。彼がアパート住まいになり、多くの同じような友人たちが彼の元に集まってきました。障害者年金をもらっているのに家族に多くピンハネされ週に千円しかない人などです。彼は親から支援もして貰ってたので冷蔵庫に食料を買ってありましたが、友人たちが可哀想で自由に冷蔵庫から食べさせていました。彼が食べるものがない状態が度々ありその都度私のところに来て何か食べるものがあればくださいと言いに来ました。その都度差し上げましたが、彼は主の愛を持って友人にしてあげていたのです。彼は交通事故で天に召されましたが必ず主のみ側近くで安息を得ているのです。
 主に多くを受けた私たちはさらに多くを主にお返しすべく大いに主の業のために働きましょう。
 主はご自身の命をかけて私たちのために贖いを成し遂げ、天のみ国世継ぎとしてくださったのですから、溢れるばかりの感謝の心で主の願いとみ心を果たしていきましょう。

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