主に委ねる人生の幸い

 私たちはどこまで主に委ねているでしょうか?主への奉仕だけでなく、自らの性格が招く失態や行き詰まり、パートナーの否定的な言葉による八方塞がりの状況をも主は糸をほぐすように、迷路を通って抜け出すようにできるお方であると信頼しているでしょうか。

 そうできないなら神の力を見下げているのです。あるいは全能者をみくびっているのかもしれません。
「あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに」(詩篇 139篇16節)、
と記されていることを心に留めてください。
 年をとっても、資金が全くなくても、仲間がいなくても、側近の協力者にクソ味噌に言われても、全てがダメな方向に向かっていても、私たちを通してご自身の計画を持って押し進め完成することのできるキリストに信頼していましょう。することがなければ、分からなければ休んでいましょう。主が私たちのために働いてくださつているのですから。
 主は主に信頼する志の堅固な人を守られ平安をくださるお方です。
 聖書は試みの中でも主の平安の中で過ごした記事で溢れているのです。

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