イエスさまのご用聞きになりましょう

 


 

 主・イエスさまがエルサレムに入られる時、
「村に入るとすぐ、一頭のろばと一緒に、子ろばがつないであるのに気づくでしょう。子ろばをほどいて、連れて来なさい。 もし誰かに、何をしているのかと聞かれたら、『主が必要なのです』とだけ答えなさい」
と言われました。

 主は様々な御心を行うために、いろいろな必要があるのです。主には2億もの天使がいるので彼らを遣わして行わせたら良いと考える方もいらっしゃるかと思います。しかし、天使は言わば感性の無いロボットのそうな存在で、主・イエスさまの十字架の愛を感じそれをモチベーションとして心から熱く主にお使えするという事ができない存在なのです。

 故に主は多くの場合人を用いられるのです。子ロバのようにかろうじて主をお乗せしてお運びだけしかできないような存在を求められるのです。強すぎて主を振り落として行ってしまうような馬は必要とはされないのです。猪のように猪突猛進する者も不要です。十分な力なくても一歩一歩主の向かおうとされる所に主の言われるままに確実に進んでいく存在こそ主は必要とされるのです。

 私は10歳の時に大人の夏季カンファレンスで十字架のメッセージで罪が示され主を信じ受け入れました。説教後「主は命を与えませ理、主は血潮を流しませり、我は何をなして主に報いし」という賛美歌を歌ったら、主の愛に圧倒され涙で溢れながら「イエスさま、私のために血を流し死んでくださってありがとうございます。私は子供ですがこれから主のために生きていきますからどうか何にでも御用のためにお使いください」と祈りました。子供の私は主のご用聞きになるつもりで献身の祈りを献げたのです。

 主は弱くても素直な人、賢くなくても謙遜な人を、主のご用聞きのために求めておられる事を覚えましょう。

 主は遍く全世界を見渡して、主と全く同じ心、同じ思いを持つ人を探しその人を通して主のみ力を現してくださるのですから私たちには並外れた能力も経験も必要ない事を感謝しましょう。 

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