自分の願いや計画を行なうのでなく主の意思に従うことが真の主の僕の生き方です

 主・イエス様はゲッセマネの園で血の汗を流して祈られました。できたらこの盃を受けなくても良いようにと、つまり全人類の罪を背負い、そのための罪の贖いとして生贄として呪いの十字架の上で死ぬことが避けられたらそのようにお願いします、と祈られたのです。

 しかし、主は自分の願いや意志ではなく御父のご意志に従われ、御心の通り行なってください従いますと父なる神様に祈られました。これは全ての主の僕の最も大切な生き方を示しています。どんなに主の御心と思う計画や仕事であっても、自分の願いやその意思を捨て自分に死んで主の御心とご意思に従う道こそ主の祝福と幸を得る道なのです。

 そのような道を主に示され、たとえそれがどんなに好きでない道否嫌いな道でも、やりたい仕事でなくても、どんなに気が向かなくても主の僕がそれに従い受け入れる力を与えるために主・イエスさまは血の汗を流して祈られたのです。これは時に主の僕にとって滝から飛び降りるくらいの大きな事である場合があります。
 その従順の決断ができるかできないかでその主の僕は主がくださるテストに合格するか否かが決まるのです。誰も主・イエスさまが通られた道のように険しい道を通らせられることはありません。なので安心して主の受けられた苦しみを覚えながら主のみ足跡について行きましょう。

 「生きて伝道、死んだら天国、どこに居てもイエス様」と良く言われていた師がいましたが、どんな状態でも主の願いと意思に従う者とされていきましょう。
 天の御父の御心を主・イエスがなされ、その業を聖霊なる神がわたしたちを通して前進される時、それに全く従うなら神の栄光が必ず現れる筈ですから全幅の信頼をしていきましょう。



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