今日「セカンドチャンスの福音」という本が送られてきました。
不信者で死んだ人にも救われるチャンスがある、その根拠として「キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです」(ローマ人への手紙 14章9節)を掲げています。しかしその聖句は前の節「私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです」(ローマ人への手紙 14章7~8節)とありますから、キリスト信者のうち死んだ人のことを言っているのであって不信者のことを言っているのではないのです。不信者にはこの世でしか救われるチャンスはなく、セカンドチャンスはないのです。
不信者は死後白い御座の裁きまでの間黄泉にいますが、この著者は「黄泉は最後の審判までの中間的•一時的な場所でこの地上の生涯でキリストに出会えなかった魂のための場所です。黄泉は未信者にかつての地上生涯を振り返り、立ち直りの機会・セカンドチャンスを与えるために存在しています。それは、一人も滅びないことを望む神の愛の現れなのです」と述べていますが、これは間違った教えです。キリストは金持ちとラザロの話の中で金持ちが苦しみのハデスの中から自分の家族がこの苦しみのところに来ないように伝えるよう願っていますが、主は聖書の教えを聞くほかはないと言われました。つまり人はこの世に生きているときにしか救われる道はないという事なのです。しかしローマ書10章9、10節には口でイエスを主と告白し心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら救われる。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われると名言されています。この世に生きている時にです。これほど寛大な救いを得る道があるのに神の定めを反故にしているのです。この著者は黙示録22章18、19節に描かれているように神の言葉に付け加え、あるいは神の言葉から取り除いているのです。
亡くなられたキリストが黄泉のパラダイスに行かれ、旧約の聖徒たちに大祭司が死んだと述べ伝えられ、彼らを引き連れて天のパラダイスに行かれました。それで、今は黄泉のパラダイスには誰もおらず、今は地獄に行くべき不信者の魂が留め置かれている苦しみの場所なのです。それを自分の私的解釈で福音を聞いて救われるチャンスがあるといっているのです。私が洗礼をさずけた姉妹もご主人が救われないで亡くなった時セカンドチャンスがあるから大丈夫とその教えに騙されていました。セカンドチャンスを信じると真剣に伝道しなくなるのです。命をかけて宣教した働きを無駄死にと言っているのです。悪魔の策略に乗せられているのです。
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