主に立てられた者に求められる最も大切な事がら

サウルはイスラエルの初代の王として、油注がれました。しかし彼は二度も主の定めに背き、主を退けたので主はサウルから王位から退けられました。彼の最大の欠点は自分を立てられた主に聞き、伺う事をしなかった事です。返って霊媒に伺いを立ててしまいました。
 今の時代も主に立てられた神の器、神の僕が多くいます。皆熱心に聖書を学び聖書に精通している事でしょう。ところが、行っている事は立てられた主に聞いて、伺い、主の指示された事を行っているか疑問を感じることが少なからず見受けるのです。極端に言えば主に言われた事ではなく人が思いついた事をしているだけなのです。それが成功しているから良いと言えるものではないのです。
 サウルの生き方は主に逆らったものとして、除かれその王位はダビデに回されたのです。主の御声に聞き従うこと以上に重要なことはないのです。立てられた主人である主に聞き、耳を傾けることは、どんなに頑張って得て献げたものよりも大切なのです。口も耳も作られた神さまは私たちが伺えば聞こえるように語ってくださることができるのです。主は経験豊富な人や聡明な人、知識に富む人を求めてはおられないのです。単純でも主の御声に従う人を求めておられるのです。主が言われた事を無視することは占いの罪、主の仰せに従わないことは偶像礼拝の罪だと語っておられます。
 私たちは時節ごとに自分がしている事が主が指示された事なのか、主の御心の真ん中にいるのかを確認しなければなりません。

 もしそうでないと分かったらどこから逸れてしまったのか主に聞き、正しい立ち位置に修正していく必要があります。そうするなら主は祝福してくださるのです。




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