主だけに祈れる秘密の祈り

 

 ダビデは羊飼いだったところから、王になった神に愛された人です。彼はどんなに困難な場合もいつも主に信頼し人を悪く言ったり、罵ったりせず、自分に悪を図る者でさえ主に委ねたのです。しかし、その心・魂は日々主に叫び祈り、陥れようとする人について神にあらん限りの成敗を求めたのです。それはまさに主にだけに祈れた秘密の祈りでした。
 詩篇のあちこちにダビデの魂の叫びとその讐にしてほしいと願うあらん限りの主への言い付ける祈りが記されているのです。長いけれど読んでください。
「ご覧ください。彼らは悪をみごもり、災いをはらみ、偽りを生む者です。落とし穴を掘り、深くしています。仕掛けたその穴に自分が落ちますように。災いが頭上に帰り、不法な業が、自分の頭に降り掛かりますように」(詩篇7編15−17節)。
「あなたに逆らう者がわたしを虐げ、貪欲な敵が、わたしを包囲しています。彼らは自分の肥え太った心の虜となり、口々に傲慢なことを言います。わたしに攻め寄せ、わたしを包囲し、地に打ち倒そうと狙っています。その様は、獲物を求めて喘ぐ獅子、待ち伏せる若い獅子のようです。主よ、立ち上がってください。御顔を向けて彼らに迫り、屈服させてください。あなたの剣をもって逆らう者を撃ち、わたしの魂を助け出してください。主よ、御手をもって彼らを絶ち、この世から絶ち、命ある者の中から彼らの分を絶ってください」(詩篇17篇9−14節)。
「主よ、あなたを呼びます。私を恥に落とすことなく、神に逆らう者をこそ恥に落とし、黄泉に落とし、黙らせてください。偽って語る唇を封じてください。正しい人を侮り、驕り高ぶって語る唇を」(詩篇31篇18、19節)。
「わたしの命を奪おうとする者は、恥に落とされ、嘲りを受けますように。わたしに災いを謀る者は辱めを受けて退きますように。風に飛ぶ籾殻となった彼らが主の使いに追い払われますように。道を暗闇に閉ざされ、足を滑らせる彼らに主の使いが追い迫りますように。彼らは無実なわたしを滅ぼそうと網を張り、わたしの魂を滅ぼそうと落とし穴を掘りました。どうか、思わぬ時に破滅が臨み、彼らが自ら張った網にかかり、破滅に落ちますように」(詩篇35篇4−8節)。
「わたしの命を奪おうとする者は必ず滅ぼされ黄泉の深みに追いやられますように。剣にかかり、山犬の餌食となりますように」(詩篇63篇10、11節)。
「人はわたしに苦いものを食べさせようとし乾くわたしに酢を飲ませようとします。どうか、彼らの食卓が彼ら自身に罠となり、仲間には落とし穴となりますように。彼らの目を暗くして、見ることができないようにし、腰は絶えず震えるようにしてください。あなたの憤りを彼らに注ぎ、激しい怒りで圧倒してください。彼らの宿営は荒れ果て、天幕には住む人も無くなりますように。彼らの悪には悪をもって報い、恵みのみ業に彼らを決してあずからせないでください。命の書から彼らを抹殺してください。あなたに従う人々に並べてそこに書き記さないでください」(詩篇69篇22ー29節)。
「憎しみの言葉はわたしを取り囲み、理由もなく戦いを挑んできます。愛しても敵意を返し、わたしが祈りをささげてもその善意に対して悪意を返します。愛しても憎みます。彼に対して逆らう者を置き、彼の右には敵対者を立たせてください。裁かれて、神に逆らう者とされますように。祈っても罪に定められますように。彼の生涯は短くされ、地位は他人に取り上げられ、子らは孤児となり、妻はやもめとなるがよい。子らは放浪して物乞いをするがよい。廃墟となったその家を離れ、助けを求め歩くがよい。彼のものは一切債権者に奪われ、働きの実りは他国人に略奪されるように。慈しみを示し続ける者もいなくなり、みなしごとなった彼の子らを憐れむ者もなくなるように。子孫は断たれ、次の世には彼らの名も消されるように。主が彼の父祖の悪をお忘れにならぬように。母の罪も消されることのないように。その悪と罪は常に主の前にとどめられ、その名は地上から断たれるように」(詩篇109篇3−15節)。
 妻はこのような祈りを主に言い付ける祈りと呼んでいます。決して仮面をかぶっている訳ではないのです。裏表があるのではないのです。人には誠意をもって寛容のかぎりを尽くし、憎まれ口、悪口を言わず、主の心を持って対応するのです。しかし祈りにおいては、心の中を曝け出してどんな言葉をも主にだけは申し上げることができるのです。自分の心を偽らないで真実の思いを曝け出すことが大切です。
 そうして祈り続けると、主は祈りを導かれます。祈りを変えられる時もあります。「あなたの敵を愛しなさい。あなたの敵のために祝福を祈りなさい」と。できなくても示された通り祈り続けると、ある日突然主の業が起きます。主は相手が祝福を受けるに足りなければ正しく裁かれ、その祝福は祈った人に返ってくるのです。
 自ら復讐せず、全能の主に心の内を全て申し上げて正しい裁きに委ねましょう。
 多くを赦されたのに赦さない人にならないようにしましょう。



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