本当の主の僕は孤独な存在です
大預言者と言われたエリヤは450人のバアルの預言者とカルメル山頂で対決し神の火を降らせて主が神である事を民に示しましたが、イゼベルに脅されて逃亡し主に祈った時何度も「私一人だけが残って主に熱心に仕えました」と申し上げています。預言者エレミヤは神の言葉を限りなく民に伝えたのですが、指導者はエレミヤを馬鹿にし、井戸に入れられたり、投獄されました。それどころか、妻をめとらず、息子や娘を得ない、弔いの家に入らず、主演の家にも入るなと主に命じられ、孤独を求められたのです。使徒パウロは、想像を絶する宣教の働きをしましたが、神の民から妬まれ、投獄されているのに快く思わない人たちに党派心を持って伝道されました。主・イエスさまでさえ、真理を語っても多くの弟子たちが去っていき、選んだ弟子たちにも理解してもらえないことがあり、孤独な時を少なからずもたれたのです。
主・イエスさまはよく朝早く起きて人里離れた所や山に登られて天の父なる神様に祈られていました。父なる神様から天の慰めを得ておられたのです。現代の孤独な神の僕も天の父なる神様と主・イエスさまに祈る時全てを理解していただき、慰めを受けることができるのです。そしてその報いは天において受けるのです。
本物の主の僕は孤独である事を覚えてその僕のために祈って取りなしをしていきましょう。
そのような主の僕に召された人は人の評価や人の言葉を恐れず、主が指示された事を行い、主から受けたメッセージを伝えていきましょう
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